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ここはグリーン・ウッド (第1巻) (白泉社文庫)

ここはグリーン・ウッド (第1巻) (白泉社文庫)

久しぶりに本棚から出してきて、大切に読み返していた『ここはグリーン・ウッド』読了。漫画の中では私史上最愛の作品です。読み終わるのが勿体なくて、前の巻に戻ったり何度も同じページをうろうろしたり表紙を穴があくほど眺めたり(主に10巻あたりを)。いいなあやっぱ好きだなあ。25年近く前の漫画だけど、変わらず面白くてちっとも色褪せない。携帯はないしシャツはインだしぱんつは白いけどね!(笑) 忍先輩と光流先輩は私の男子にこいちの原点です(あ、別にftrとは格別共通点ないし私のときめき方も違うのでftrファンだからといって気にしなくていいと思う。でも名作です)。もう好きで好きで、10代半ばの青春を捧げたわw 
私は残念ながらリアルタイム世代ではなく、昔読んだときは既に連載終了から数年経過、登場人物達を知る媒体はコミックスしかなくて(いやCDやOVAがあったけど、そういうことではなく。現役漫画ではなくなってたので、例えば雑誌のカラーページとか作者発信のインタビュー記事とか、そういうリアルタイムで新しく手に入る情報がなかった)、何度も何度も一生懸命読み返したものですが、あれから20年経ってもやっぱり彼らは昔の本の中にしかいない、その全11冊の本の頁にのっかってる情報が全てなんですよねえ。
…あー、何を言ってるのか伝わらない気がしますが…。なんというか、3次元の人なら、例えば私が今ftrの情報収集をすっぱりやめたり、もしくはftrが将来あんまり芸能活動しなくなったりして、そんでそのまま20年経っても、ふとした機会に「ああ今こんなんしてるんだ、元気なんだ」って現状を知れるってことがあるじゃないですか。芸能人でなくても、全く連絡取ってない20年前のクラスメイトの名前をネットで見つけて「へえ、会社作ったんだー」って思うとか。知りたくなれば能動的に調べることもできる、消息なりとも知れる。でも漫画の中の人だとどれだけリアルなキャラクターでもそういうのないんだなー、と。ランドセル姿しか知らなかったあの子に旦那と子どもが!すっかりママの顔に!とかそういうのがない。彼らは20年前も高校生だったし今もやっぱり高校生。この作者は登場人物の作り込み方がメインサブモブ問わずすごく上手くて、皆ほんとにいる男の子達のような気がするから、彼らが本の中の人でそれ以上でもそれ以下でもなくて、どんなにページの隅から隅まで読み返しても新しい情報は増えなくて、彼らのその後を知ることができないっていうのが、なんだかすごく不思議に思えてしまう。
…とか、いい年して変なことを考えてしまった。とりあえず、彼らが最終回の後も、幸せな人生を歩んでいてくれますように(…特に忍先輩が。光流先輩とセットで)。私がその様子を垣間見ることはできないけれど。それがちょっぴり切ないぜ。
だからといって、彼らの現在を、作者に新たに描いてほしいのかと言われるとそれもうーんって感じですけども。決して安易に続編を描かない那州さんの潔さが好きだけども。いや描いてくれはったら飛びついて読むけども。(『花咲ける青少年』の特別編は嬉しかったなー。長生きするものじゃのう。あれは成功な続編。)
那州さんの作品、最近は追いかけていなかったのですが、こないだ大奥の最新刊を買いに行って白泉社の棚を通覧してたら比較的最近出たらしい『NEZ』って漫画があったのでなんとなく一緒に買ってみました。それは普通に面白くて相変わらず上手でしたが、モブ役でヘビ好きのヘビ飼いのヘビ顔男が出てきて、これは寮が停電した時のあのモブ寮生だったりしないのだろうかとちょっと心がザワザワしました(笑)。